平成261010日修正

西 村 三千男

連載「余談・ドイツ化学史の旅・パート4

3回 オストワルド記念教室(武山さんの念力)

 

今回の「旅・パート4」は数々の幸運に恵まれた。ライプツィヒ大学で「オストワルド記念教室」を結局探し当てた”のは思いがけない程の「幸運」であった。武山さんの念力が幸運を招き寄せた・・・ように私には思えた。

 

前回述べたように、旅の目的にライプツィヒ訪問、オストワルド(F.W.Ostwald)の史跡巡りを加えたのは、武山さんの熱心な提案(2012.11.22の打ち合わせ)からであった。事前準備では、訪問先のアポイントどころか、オストワルドの一片の史跡情報さえも把握していなかった。武山さんは情報蒐集のため放送大学の図書館へも訪問されたし、仲間もネット情報を調べたが成果はなかった(注記1)。

 

さて、ライプツィヒ大学往訪の当日のこと。市内中心部の観光、木下さんの肝いりで事前予約していた記念ランチ(@Leibzig Auersbach Keller)を済ませた後、10名全員で何も当ては無かったけれど、「当たって砕ける」気分でライプツィヒ大学本部の総合受付を訪ねた。大学本部は市の中心部、ゲヴァントハウスの近傍にある。“半開きの書物”を立てた斬新なイメージでデザインされた高層ビル、遠くからも識別できる。木下さんが達者なドイツ語で2人組の受付嬢にオストワルド関連の情報を質問、彼女たちは各方面へ電話で問い合わせてくれたが、何の手掛かりも得られなかった。

 

最後に「ワラにもすがる思い」で郊外(注記2&3)の化学科を訪ねてみることにした。空振り覚悟であるから、女性陣は同伴せずに観光に残して、男性陣5名だけで大型タクシーに乗り込んだ。目的地の化学科に着く直前、後部席の右窓側に座っていた武山さんが「オストワルドのプレートがあった」と叫んだ。タクシーから降車して少し戻ると、2ブロック手前の低層ビルの道路側の壁面に黒いプレートがあった。その建物のエントランスを探し、ちょうど通りかかった背の高い若者に声をかけた。大学院生?Doktorand Michael Weissであった。彼が3階の事務所に我々を連れてゆき、そこでシニアのDoktor Matthias Kudruと合流し、2人で館内(オストワルド記念展示室、実験・階段教室、研究機器など)を丁寧に案内してくれた。見聞した記録や映像は別の機会に報告されるだろう。ここでは武山さんの念力と強運を述べるに止める。

 

l         空振り覚悟で化学科へ向かった

l         タクシー運転手が適切なルートを選んだ

l         武山さんが適切なシートに座った

l         武山さんがオストワルドのプレートを通り過ぎる際にその方向を見ていた

l         武山さんが車窓から、目立たない小さな黒色のプレートの文字を識別した

等々が「幸運」につながった。

(つづく)

写真1 DSCF0527 オストワルト研究所の銘板

写真2 DSCF0539 案内してくれた博士課程の若者と一緒に

 

注記1: もう一つの目的地、ベルリンについては原田馨先生の下記著書が我々にピッタリ好都合なガイドブックとなった。その本の記述と写真を頼りにベルリン往訪プランを練った。ライプツィヒ関連にも類書がないかと探したが、虫の良い希望は無理であった。(ドイツ科学史巡礼の旅〈1ベルリン. 原田馨著· 一二三書房)2008/09発売).

 

注記2: 帰国後調べたところ、化学部は本部から南の方角へ3km弱の距離(往路タクシー代 €15.—)、ドイツ語のLeipzig Univ.HPには下記の通り記載されている

Wilhelm-Ostwald-Institut für Physikalische and Theoretische Chemie
Linnéstr. 2
D-04103 Leipzig

 

注記3: 下種の後知恵ではあるが、旅の準備段階で、Leipzig Univ.のドイツ語HPを参照していれば、オストワルドの史跡情報は得られたのに、その労を惜しんだことになる