平成261010日修正

西 村 三千男

連載「余談・ドイツ化学史の旅・パート4

4回 数々の幸運(その1

 

繰り返し述べるが「旅・パート4」は数々の幸運に恵まれた。前回はオストワルド記念教室・ライプツィヒ大学を探し当てた「幸運」を述べた。それ以外の大小の「ラッキー」のうち数件を数回に分けて、日付順に紹介しよう。

 

1.     ホフマンの墓碑・ドローテン市営墓地(6/16)

 

 旅の初日は午前中、フンボルト大学全般をじっくり見学。Café Einsteinで軽いランチ。その後、木下さんは別行動。他の4夫婦でLuisenstr.を徒歩で北上、途中の森鴎外記念館を経て、コッホ広場(Robert Koch Platz)へ。

次の目標はドローテン市営墓地のAugust Hofmannの墓参、この旅の主要な目的の一つである。これまで「ドイツ化学史の4巨星」としてリービッヒ、ヴェーラー、ブンゼン、ケクレの史跡を巡ってきたが、もう1人の偉大な「巨星」ホフマンを等閑に付してきた。

 

ドローテン市営墓地は、現在地(コッホ広場)からタクシー距離ではなく徒歩距離と推定されたが、手持ちの一般地図には載っていない。武山さんが事前に仲間に配布してくれた原田本のコピー集の当該ページに赤ボールペンで「Sバーン・オラニエンブルク門駅」に近いと添え書きしてあった。それを一般地図と照合すると、目的地へのアクセスはドンピシャと判った。 幸運であった

   因みに、墓地入り口に、市民向けに著名人のお墓の案内板が設置されていたが、我らが「巨星」ホフマン先生はその中には含まれていなかった。

 

2.      フリッツ・ハーバー研究所(FHI注記1)の案内は大物教授(6/17)

 

6/17は終日ベルリンの南西郊外にあるDahlem地区のMax Planck Societyの研究所群を訪問。アポイント無しである。最寄り駅でUバーンを降りて、通り掛かりの何人かの男女に聞きながら、FHI(Fritz Haber Institute)の受付にたどり着いた。見学希望を申し出ると、受付嬢は(何故かドイツ語でなく英語で)所内のあちこちへ電話して見学案内人を探してくれた。火曜日の真っ昼間、アポ無し見学者の案内人はなかなか見つからなかったが、結果的にハイレベルの教授Prof.B.Friedrichの応接を受けた。多忙であったに違いないが、日本から来訪した老男女を、FHI所内と所外の他の研究所をも親切丁寧に案内してくれた。

 

帰国後、メンバーを代表して武山さんが礼状メールを送った。答礼メールにはFHI百年史のpdfファイルが添付されていた。帰国後のメール交信やFHI百年史を読んで分かったことだが、Prof.B.Friedrich FHI100周年委員会(Centenial Group)代表であり、100年史の筆頭執筆者であった。また、田丸謙二先生(注記2)100周年記念行事に招待したのもProf.B.Friedrich。斯かる大物先生の応接を頂けたことは望外の幸運であった。数々のラッキーが続いた今回の旅の中でも特にラッキーであった。

                                  (つづく)

写真1 DSCF7220 フリードリッヒ教授と共に

写真2 DSCF7224 旧カイザー・ヴィルヘルム化学研究所

写真3 DSCF0458 ホフマンの墓 

写真4 DSCF0460 哲学者・ヘーゲルの墓

写真5 DSCF0461 哲学者・フィヒテの墓

 

注記1フリッツ・ハーバー研究所(FHI)Max Planck Societyの化学研究所と並置されている。分野が重複している感もあるが、FHIの方が化学研究所より業績も存在感も大きい。その歴史的経緯は武山さんの「アイソマーズ通信」掲載総説を参照。

(フリッツ・ハーバー研究所の科学者たちと日本との関係)

(http://isomers.ismr.us/isomers2014/fritz.htm)

 

注記2:田丸謙二先生の父君・田丸節郎氏は1908からカールスルーエTHFritz Haber 研究室でアンモニア合成の共同研究、その縁でFHI設立と同時にFritz Haber と同伴してFHIに移籍し1917まで在籍した。FHIの所内常設の説明パネルにも百年史にも写真入りで記載されている。