平成261016

西 村 三千男

連載「余談・ドイツ化学史の旅・パート4

7回 シャリテ(Charité)とは?

 

5回に述べた作戦意図で、第3日目(6/18)は朝一番をシャリテ(Charité) からスタートした。ところで、シャリテ(Charité)とは何か?スペルにアクサン記号が付いているし、発音もフランス語である。ここでまた、「シャリテ」について事前の勉強は不足であった。原田本を読んで、漠然と、それはフンボルト大学の医学部、付属病院の複合施設である・・・とだけ認識していた。  

また、旅の初日(6/16)午後は第4回に述べた通り、ロベルト・コッホ広場へ向かって Luisenstr. を徒歩で北上した。その途中、通りの西側にシャリテ構内に在る数多の医学史上の偉人たちの像を横目に観ながら通り過ぎた。森鴎外記念館は Luisenstr. の反対側(東側)に在るが、シャリテの付置施設である。ロベルト・コッホ広場は Luisenstr. の北端に在るが、これもシャリテの付置施設である。多分、Luisenstr. がシャリテの東の境界線と看做せる

 

ネット検索すればもっと詳しい情報を得られるが、「化学史の旅人」としては、そんなに詳しく知っておく必要も無いから、ここでは概要だけ押さえておこう。

 

● 名称:シャリテ(Charité)。何故か「隣人愛」を意味するフランス語。

英語のcharityと同じ語源かな。

● 設立:1710年、歴史は遠く300年超。

最初はペストに対する病院として設立、1727年からシャリテ(Charité)の名称に。

● 1810(ちょうど100年後)ベルリン大学の発足に際し医学部として編入。

● 18961917年のシャリテ大増築に際して、アルトホ−フ (F.Althoff) 予算獲得に尽力。正門に胸像を置いて顕彰している。<http://de.wikipedia.org/wiki/Charit%C3%A9>

● 第2次世界大戦後は東ベルリンに所属した。東西ドイツ統一後、フンボルト大学医学部とその付属病院、ベルリン自由大学医学部とその付属病院を統合した複合施設となった。

● 規模:ヨーロッパ最大。

・病床数:3,200.

・従業員数:13,000(その内の医師と研究者の数:3,700)

・学生数:7,000

・診療する患者数:年間50万人

                                                (つづく)