ベルリン鷗外記念館を訪ねて(同人誌「鳥影」に投稿)

武山文子(20148月記)

 

 青春時代に同じ大学で工業化学を学んだ夫の同級生たちは、卒業後いろんな職場にいたが、定年後、「もっと知りたいドイツの化学者」を合言葉に、足跡を訪ね歩く旅を九年前に企画した。今年、2014年六月に四回目の《ドイツ化学史の旅》を終えた。化学とは縁遠い同級生の妻たちの《道づれ化学史の旅》も「始めキョロキョロ,中ゾロゾロ、後は私について来て」と、リービッヒ・ブンゼン・ケクレの銅像やお墓を探し当てる女の勘も発揮してそれなりに楽しんだ。今回はベルリン・ライプチヒ・ミュンヘンへと、五組の夫婦で十日間の旅だった。仲間や私も年には勝てず、痛む足腰に、湿布とサポーターのお世話になりながら。

 ちょうど、サッカーワールドカップの開催中だった。国旗を顔にペイントした熱い若者でいっぱいの郊外電車に乗っている時、がっちりした建物や線路脇の壁には、アートとも思える大きなドイツ語の落書きが多かった。そんな中、白い建物の二階の角に《鷗外》と書いた黒い漢字が目に飛び込んできた。

「皆さんは、今、森鷗外が青春時代の一時期を過ごした場所に立っていらっしゃいます」

《ベルリン フンボルト大学 森鷗外記念館》を案内してくれたのは 日本人女性の学芸員だった。

鷗外は二十二歳の時、1884年(明治十七年)から1888年(明治二十一年)までの四年間、陸軍軍医としてドイツに留学した。ライプチヒ・ドレスデン・ミュンヘン・ベルリンで過ごした。いずれも私たちが〈ドイツ化学史の旅〉で訪れた都市である。鴎外の在独三部作は、ドレスデンの『文づかひ』、ミュンヘンの『うたかたの記』、ベルリンの『舞姫』である。

館内の展示は翻訳された鷗外作品と研究論文・経歴・写真・書籍からデスマスクまであった。医学、衛生学を学ぶ科学者よりも、文学者としての鷗外が強く感じられた。

目に付いたのは1888年にベルリンで撮った日本人医学関係者、十九人の集合写真だった。森 林太郎・鴎外、北里柴三郎がいた。驚いたのは、ジョン万次郎の長男である中浜東一郎もいたことである。

ベルリンでは『舞姫』の舞台となったウンター・デン・リンデン通りを歩いた。帰国して、小説を読んでみると、その時代の空気や鷗外の高揚感も伝わってきた。

ライプチヒでは、文豪ゲーテが『ファウスト』に登場させたレストラン《アウアーバッハス・ケラー》で食事をした。ドイツ暮らしが長かった仲間のKさんのお薦めである。

鷗外は『ファウスト』の最初の翻訳者である。地下酒場風の店内には『ファウスト』ゆかりの絵が展示されている。豚肉やジャガイモの料理も上等だ。

仲間のIさんが食事の後、奥の方で一枚の大きな絵を見つけた。鷗外と友人、ファウスト博士、赤い衣装のメフィストが描かれている。羽織袴の鷗外が回想しているといった構図だ。十五年前に描かれたという。日本人には嬉しい旅の出会いだった。

なんかいか訪れたミュンヘン。市庁舎にも近いホテル《トルブロイ》は定宿だ。最後の日は、観光バスで市内巡り、買い物、友人に会う、などの個別行動となった。私たちは電車を乗り継いで、親切な老婦人や考古学者などに道を教わりながら、国立の美術館《ピナコテーク》に行った。

日本の上野公園の二倍くらいの広い敷地に、大きなレンガ作りの美術館が五つ点在している。アルテ・ノイエ・モデルネの三つの美術館を梯子すると、足は棒のようになったが、絵画の殿堂の魅力に取付かれて、熱心に観て廻った。ゴッホやセザンヌの絵もあった。

ミュンヘンが舞台の『うたかたの記』を読んでみた。主人公は画学生・巨勢(こせ)である。鷗外の友人である洋画家・原田直次郎がモデルと云われている。ここにも《ピナコテーク》が出てくるではないか。

さらに2010年、仲間のKさんのお薦めで参加した《水上音楽祭》が行われたシュタルンベルグ湖と、そこで非業の死をとげた王・ルートビッヒ2世も登場する。鷗外がミュンヘン滞在中の事件だったようである。

『うたかたの記』は、泡のように儚くて、甘酸っぱい青春小説だ、その土地に足を踏み入れてみると、物語の世界は豊かに広がってゆく。若き留学生・鷗外の感受性と博学をもって書かれた作品は、色あせないで読み継がれるだろう

帰国して東京の文京区千駄木にある《森鷗外記念館》に行った。団子坂を上った所にあった鷗外の元住居跡に2012年に建てられたモダンな記念館だ。カフェから見える中庭に、包帯だらけの大イチョウがあり、明治の雰囲気を伝えている。

展示もすっきりとして、年代順に辿ってゆくと、奥深い鷗外の業績が明らかになる。ドイツ語に堪能なわけは、医科大学の予科に十一歳で入って、ベルツ水で有名なお雇い外人のベルツ教授に習っていたようだ。

語学力を武器にして羽が生えたように自由に動き、四年間のドイツ滞在の間にあれだけの仕事や遊行が出来たのだと思う。

展示してあった、愛する子供たちに送った手紙がほのぼのとして良かった。正岡子規からのハガキも興味深い。

鷗外と同じ津和野出身の安野光雅さんが映像でお薦めしていたのは、鷗外が翻訳したアンデルセンの『即興詩人』だった。ベルリンと東京、そして津和野にある記念館へも行ってみたくなった。

ドイツに行く前の週に、下田に住む友人のSさんから、千葉市美術館で開催中の《水彩画家・大下藤次郎展》を観に行きませんかとお誘いがあった。房総を最初に描いた画家なのに名前も知らなかった。観ていると、みずみずしい水彩画の魅力に取りつかれた。Sさんお気に入りの『秋の雲』は、画面の七割は空と雲だ。のびやかさがあり、いい絵を観た満足感がいつまでも残った。明治時代の風景の中に自分もいるような気がした。

黄昏時、Sさん御夫妻と夜風に吹かれながら、屋上のビアガーデンで楽しい歓談もできて、いい日だった。

 買った図録を読んでみると、今回の作品は島根県立石見美術館所蔵のようだ。島根県出身でない大下藤次郎の絵がこの美術館にあるのは、鷗外との交友関係が理由のようだ。

さらに新発見があった。

大下藤次郎の絵の師匠は『うたかたの記』のモデルだと云われる原田直次郎だった。そんな関係で大下藤次郎の死後、夫人に頼まれて、鷗外が年譜を纏めている。鴎外の交友の広さに感心した。ドレスデンを舞台にした『文づかひ』も読んでみよう。文語体が味わい深いと思う。鷗外の連鎖は、まだまだ続きそうだ。うたかたのように消えはしない。

 

写真:

1  ベルリン《鷗外記念館》


2 『文づかい』の舞台、ドレスデン・エルベ川畔から

3 ファウスト・鷗外ゆかりのライプチヒ《アウアーバッハス・ケラー》

4 『うたかたの記』ゆかりのミュンヘン・《ピナコテーク美術館》前で

5 『うたかたの記』に出てくるルートビッヒ2世が非業の死を遂げた

ミュンヘン・シュタルンベルグ湖