スコットランド・グラスゴー訪問候補地

武山高之

1.前置き

「アイソマーズ通信」2014.8.30付け 伊藤一男さんの「次回の化学史の旅は英国」をご覧ください。英国の訪問予定地はロンドンとグラスゴーですが、グラスゴーの訪問候補地について調べてみましたので、簡単に報告します。

伊藤さんの解説にありますように、「ドイツ化学史の旅」の番外編として、英国を選んだ目的は、幕末に長州から密留学した「長州ファイブ」と言われる5人の若者、伊藤博文(初代総理大臣)、井上馨(初代外務大臣)、山尾庸三(工学・工業の父)、井上勝(鉄道の父)、遠藤謹助(近代造幣の父)の足跡を辿るためです。

 この5人をロンドンで世話したのが、ユニバーシティ・カレッジ・オブ・ロンドンの化学教授であったアレキサンダー・ウイリアムソンでした。ウイリアムソンはかつてリービッヒのギーセン化学教室で学んだ人です。5人はウイリアムソンのもとで、化学実験も学んだそうです。これが、「ドイツ化学史の旅」番外編との関係です。

 過去4回の「ドイツ化学史の旅」では、19世紀後半から20世紀初めに、我々の先輩たちがドイツから化学・医学・物理学を学んだ足跡を訪ねました。

 今回は主に日本の近代化のために、イギリスから工業技術を導入した跡を訪ねることになります。

 我々がスコットランド・グラスゴーを選んだ第一の理由は、日本の工学・工業の父と言われる長州ファイブの一人、山尾庸三が造船を学んだ跡を訪ねることです。山尾はまた工部省・工部寮・工部大学校を設立した人でもあり、これらの部署を設立するにあたり、グラスゴー大学からヘンリー・ダイヤーを招聘しています。グラスゴーは我々工学部出身者には、見逃せない土地でもあります。

 

 さらに、グラスゴー大学出身者には、経済学のアダム・スミス、蒸気機関のジャームズ・ワット、物理学者ウィリアム・トムソン(ケルヴィン郷)がいます。その足跡も見逃せません。

グラスゴーは18世紀終わりから19世紀にまたがる産業革命の中心都市であるとともに、アダム・スミスにはじまる18世紀のスコットランド啓蒙の中心でもありました。

 

以下、具体的な訪問候補地を示します。

 

2.ロンドンからグラスゴーに

 鉄道で、ロンドン・ユーストン(Euston)駅からグラスゴー中央駅まで最速4時間半です。(グラスゴー中央駅の位置は添付図1の@参照)

山尾庸三がロンドンで学んだあと、スコットランドに向かった時には、すでに鉄道が通っていました。10時間以上かかったようです。向かったのはエジンバラかグラスゴーか分かりません。是非、片道は山尾のあとをたどり、鉄道を使いたいと思います。

 帰りは空路で、ロンドン・ヒースロー空港までという案もあります。時間は1時間半ほどです。

 

3.グラスゴー市内交通

 グラスゴー市内には、全長10キロほどの地下鉄環状線があります。これで、目的地のいずれにも、簡単に行けそうです。目的地は地下鉄駅から徒歩の範囲内でしょう。(添付図2参照)

 

4.グラスゴー市内訪問候補地

 

1)クライド川の造船所跡

 山尾が職工として働いたネイピア造船所は添付図1のDの位置です。地下鉄で行けそうです。より詳細には、図3のDの位置をご覧ください。文献1)クライド川(左の方が河口)からケルヴィン川が分かれた当たりの対岸です。標識があるか否かは分かりません。

 1872年には、岩倉使節団もこの造船所群を視察しています。日露戦争の時点で、日本は戦艦9隻、装甲巡洋艦9隻、防護巡洋艦17隻を所有していますが、全てイギリスから輸入したものです。文献2)

 日本は1871年〜1911年の間に、蒸気機関車もイギリスから1023台輸入していますが、その半分はグラスゴー製です。文献2)

 後述する男爵薯に名を残す川田龍吉が実習した造船所は図3のEのロブニッシ造船所です。文献2)

 

2)山尾庸三が夜学に通ったアンダーソン・カレッジ

 山尾庸三が通ったアンダーソン・カレッジは現在のストラスクライド大学です。文献1)位置が変わっていなければ、添付図1のAの場所です。

 

3)グラスゴー大学(場所は添付図1および2のC)

 工部省工部寮の初代都検として、日本の技術教育に貢献したヘンリー・ダイヤーはアンダーソン・カレッジの夜学に学んだあと、グラスゴー大学を卒業しています。工部大学校には、1873年〜1881年の間に、28名のイギリス人教師が就任していますが、グラスゴー大学出身者がたくさんいます。

グラスゴー大学の卒業生には、経済学者のアダム・スミス、蒸気機関のジェームズ・ワット、物理学者のウィリアム・トムソン(ケルヴィン郷)らがいます。これらの人の銘板が大学の門扉にあるそうです。アダム・スミスの像は大学構内にあるそうです。ほかの人はまだ確認していません。

日本からの留学生としては、高峰譲吉、川田龍吉(横浜船渠、函館船渠社長、馬鈴薯の癌爵薯に名を残す)、岩崎隆弥(三菱財閥)、田中館愛橘(物理学者)、竹鶴政孝(ニッカウイスキー、朝ドラ『マッサン』のモデル)がいます。この他に、1880年〜1914年の間のグラスゴー大学への日本人留学生は60名にのぼっています。文献1)

朝ドラのマッサンの妻のモデルであるリタ・カウンの父は医者ですが、母方の祖父はアダム・スミスに繋がる経済学者です。文献2)

 

4)ジョージ・スクェア(市庁舎前広場)(場所は添付図1のB)

 ジャームズ・ワットとウォルター・スコット(歴史小説『アイヴァンホー』で有名)の像があります。

 

とくに参考にした文献

1)オリーヴ・チェックランド著、杉浦忠平、玉置紀夫訳『明治日本とイギリス‐出会い・技術移転・ネットワークの形成』(1996年、りぶらりあ選書、法政大学出版)

2)オリーヴ・チェックランド著、加藤詔士、宮田学訳『日本の近代化とスコットランド』(2004年、玉川大学出版)