バルトークの音楽、ブダペストと森山さん

 

バルトーク(1881-1945)はフランツリストと並んでハンガリー生まれの二大作曲家の一人である。バルトークの音楽は20世紀前半の音楽で、とりつきにくい音楽だと思われがちであるが、独特のリズムと和音を用いた非常に美しくすばらしい曲も多い。

 

バルトークはハンガリー、ルーマニア、その他の近隣の国の民謡を丹念に集めて書記し、それにもとずいた曲を多く書いたことが知られている。 

 

バルトークはブダペストに住んで、音楽学校の教授をしていたこともあるが、第一次大戦後はハンガリーは一時期ナチとの密接な関係を持ったが、やがてそれを嫌った政権が今度はソ連への合流、またソ連からの離脱革命などと、政府の不安定な状況が絶えず、騒乱が起こるたびに近隣の国がハンガリーの国土を削り取っていったという不幸な運命にさらされた。バルトークはそれらの政権を嫌いハンガリーの外で暮らし、最後にはアメリカに住んだ。若い奥さんもピアニストで、もちろんバルトーク自身もピアニストであったのに演奏会の依頼が少なく、経済的に非常に苦しい生活であったと伝えられている。

 

最近わたくしはバルトークのピアノ曲の楽譜を購入し勉強している。バルトークがハンガリーやルーマニアの民謡を基にして書いた曲には、5音階の日本の祭りの囃子と似た音楽がある。

 

それで思い出すのだが、数年前森山さんとブダペストで会ったことがある。彼は、ドユッセルドルフでの仕事をやめて、奥さんの里であるブダペストに移り住んでいたのであった。ブダペストの繁華街を案内してもらい、有名な喫茶店でお菓子をご馳走になった。そのとき、彼は「ハンガリー人はもともと東洋人である」と説明してくれた。実際には、全部が東洋人なのではなく、現在のハンガリア人は、ドイツ人、フランス人、トルコ人、ポーランド人、ジプシイなどが混じってはいるが、アジア人の血も混じっているということらしい。そのアジア人がいつ来たのかはよくはわからないが、ハンガリーは5世紀に中央アジアからやってきた漢民族に支配されたことがある。このときに移り住んだ漢民族が、5音階の民謡を持ち込んだことは十分に考えられる。ハンガリーの民謡に日本の祭りの囃子と似た音楽がある理由のように思える。西洋の音楽は終わりが必ずドかラで終わるが、東洋の音楽はシかミで終わるものが多い。

 

その後、森山さんが交通事故で足の大怪我をされ、回復されたと聞いたが、それ以来音沙汰がないのが気がかりである。

 

こんなわけで、バルトークの音楽を勉強するのは楽しいが、そのたびに森山さんのことが気にかかるのである。

 

中村省一郎

9-1-2016