平成29930

西 村 三千男

伊藤寿子様を偲ぶ昼食会

伊藤寿子様がご逝去(H.29.6.4)されて100日以上が経過した初秋(晩夏?)の一日(H.29.9.28)、「ドイツ化学史の旅」の旅仲間が昼食会に集まり故人を偲びました。出席者は武山さんご夫妻、藤牧さんご夫妻、西村夫妻と伊藤一男さんの7名でした。場所は故人にもおなじみであった「上野・韻松亭」です。アイソマーズ通信2017年号掲載の武山さんの追悼文の写真6参照。

伊藤壽子さんが亡くなられました     武山高之」

(http://isomers.ismr.us/isomers2017/MrsItoh-1.htm )

当日は、朝から前線を伴った低気圧の影響で関東地方は強い雨が降っていましたが集合時間には雨は上がりました。武山さんご夫妻は、千葉方面のJR各線の運行が乱れたため少し遅れて到着されました。

伊藤さんが携行された寿子さんの遺影とご葬儀のアルバムをご披露、ご説明されました。大阪の木下蘭子様から寄せられた追悼エッセーが紹介されました。出席者は全員が数次の「ドイツ化学史の旅」を通して在りし日の寿子さんと親交を深めていましたから、沢山の想い出話がこもごも出て、2時間余の和やかな時間はあっという間に過ぎました。それらの話題をここにはご紹介出来ませんが、伊藤さんの語られた寿子さんのエピソード1件と伊藤さんの近況を下記しましょう。

1.寿子さんのエピソード

伊藤さんはH.73月から3年弱、水処理の技術移転のためJICAから派遣されて寿子さん同伴で北京に駐在されました。中国が経済大国に飛躍する直前の北京でした。アイソマーズの有志は翌年H.89月に北京〜上海旅行に出かけて伊藤さんご夫妻に一方ならないお世話をかけました。この近代化前夜時代の北京駐在の日常生活は、傍から拝見してさぞ大変かな・・・・と想像していました。偲ぶ会で伊藤さんは寿子さんがこの北京生活を実に活き活きとエンジョイされたことをご披露されました。日常のお買い物では、中国人の店員さんに中国語でソツ無く折衝されていたそうです。任務を果たして帰国の時期になると、寿子さんはこのまま北京に止まりたい程の気分であったとか。北京の風土が体に合うのか、持病の潰瘍性大腸炎も駐在中はまるで快調、それが帰国の航空機の中で再発したというからまことに印象的。寿子さんが旧満州生まれで、幼時を大連で過ごされたことと通底しているのかも知れません。

2.伊藤さんの近況:

伊藤さんは長年住み慣れた戸建て住宅から、数年前に同じ我孫子市内のマンションへ転居されました。寿子さんが長期入院されて以降はそのマンションに一人住まいされています。ご次女のファミリーが同じマンションに居住されていて、伊藤さんの毎日の夕食はご次女が整えて下さるそうです。(人も羨やむ好条件です)。その夕食を寿子さんの遺影と対話しながら食べる習慣・・・・。夕食時以外にも、外出から帰宅した時は遺影に報告、朝な夕な、折にふれて遺影に語りかける習慣になっているそうです。翻って、筆者などとてもとても伊藤さんの万分の一もまねは出来ないと愚妻に評されますが一言もありません。

(おわり)