シアン化ナトリウムとアーモンド

 

アーモンドの実をつぶしてこねると粘土そっくりの塊となり、マルツィパンと呼ばれている。実際ヨーロッパの菓子屋では、マルツィパンに食紅で色を付け、粘土細工のように鳥や果物などいろいろな形にして売っていることがある。米国では、色なしのマルツィパンを缶詰めにしてアーモンドペーストという名で売っている。しかし、これにはかなり強い芳香性のアーモンドエッセンスの匂いがつけてある。アーモンドの実をつぶしただけでは絶対にこのような匂いはしないので、このようなアーモンドエッセンスの匂いはどうして加工するのか不思議である。しかしこの匂いは梅干しの種を割って実を食べるときの独特の匂いと非常によく似ている。アーモンドは梅、桃などと近い親類関係に有るのだから、匂いが似ていてもふしぎはない。

 

さて、ケミカルアブストラクトの本拠はオハイオ州コロンバスにあり、私の勤める大学と敷地続きなのである。友人のパーティーなどによばれると、そこの職員に会うことがよくある。シアン化ナトリウムの水溶液がアーモンドエッセンスとそっくりの匂いであることを知ったのも、何年かまえのパーティーで、ケミカルアブストラクトに勤める年配の女性から教えられたのであった。そのとき、青梅には青酸があるので食べてはいけないとよく言われたのを思いだしていた。やはり、梅干しの種の芳しい匂いと青酸には何等かの関係があるのだろう。とすれば、アーモンドエッセンスの匂いにも同じことが言えても不思議ではない。これに関連して思いだされるのは、何年かまえの新聞で、桃の種から癌治療薬が出来たという記事である。たしかシアン化物質が説明されていたように思う。

 

数日まえ、再び同じ人の家のパーティーに呼ばれた。前回とは客の顔ぶれがほとんど違っていたが、それでもまたケミカルアブストラクトに勤めるの女性に紹介された。まえにシアン化ナトリウムの水溶液のことを教えてくれた人と、年齢も背の高さもそっくりだったので、少々困惑したが、思いきって聞いてみた。「以前にここでお会いしたことがありましたかね。前会ったケミカルアブストラクトの人とは、シアン化ナトリウムの話をした覚えがあります」。すると、「いいえ私ではありません」、と答えでから、意外なことを話しだした。

 

「私の知り合いに化学実験室に勤めている人がいます。その人がある日、 仕事場の薬品棚にアーモンドエッセンスとそっくり匂いの薬品をを見つけたので、それを入れてケーキを焼いたの、といったのです。私は即座に、そのケーキを他人にあげたかどうかを聞きましたら、してないとのこと。つぎに、そのケーキを食べたかどうかを聞いたら、さきほど食べたばかりと言いました。そこでわたしは、その薬品はシアン化ナトリウムかシアン化カリウムに違いなく、非常に危険な物質であることを教え、即刻救急病院で胃腸洗浄をしてもらわなければ命とりになることを伝えました。そして、その人はわたしの言う通りにして、命を取り留めたのです。」

 

中村省一郎 (2002年5月)