我が追憶のハイデルベルク、そしてドイツ

 

 武山文子さんのリマークに励まされて、予定を少し早めて第2話を掲載して頂き

ましょう。まるで「脂肪取り」の出来ていない「霜降り」状ですがご笑覧下さい。

 ハイデルベルクのプールから救急車で搬送された古い話題は季節がもう少し暑く

なってから、ーーー多分第4話で。

 

第2話  長男の結婚式

 

「すこぶる」付きの私事ですが、私どもの長男は1995年4月27日にハイデ

ルベルク城内のチャペルで結婚式を挙げました。最初に断っておきますが、これは

婚約した若い2人の選択であって、私の意見に依るのではありません。第1話に述

べました、古城の正面の建物をくぐり抜けて展望バルコニーへ出るその「くぐり抜

け通路」の左手に目立たなくて見過ごしそうな出入り口があり、その内側にかなり

大きな教会が隠然と存在し、それが長男達の挙式場となったのであります。

日本に住む日本人同士の結婚式がどうしてハイデルベルクで挙式となるのかは流

行とでも云うのでしょう。近親者とごく近しい友人だけを招いて海外で挙式して、

盛大な浪費でもある旧来のホテルなどでの披露宴は避ける魂胆です。当時、人気の

あったスポットはオーストラリア、スイス、ハワイなどでしたが、何故か長男たち

はハイデルベルクを選んだのでした。

そのスタイルで結婚すると予告する長男に「親はどうすればよいのか?」と尋ね

たら「両家の両親は式に列席して欲しい.旅費等は自分で負担してもらうが、現地

の挙式費用と全出席者の宿泊費は新郎新婦のアカウントです.」との説明でした。

一方家内は「急にそのような場所で結婚式をと云われても、そのようなところへ

着て行く洋服も、履いて行く靴も、携えて行くハンドバッグも持っていません.」

「事前にミラノかどこかでお買い物をして揃えましょう.」とこちらが気絶しそう

な恐ろしいことを平然と言い、結局実行させられました。

古い友人のドイツ人K夫妻が列席してくれました。フラウKについては次回以降

に別途ご紹介しますが、私がデュッセルドルフに駐在していた30数年前、定期的

に来宅して絨毯や窓などの掃除をしてもらっていました。またその機会に未だ幼児

であった長男の子守りをもしてもらって、その間に家内はベルリッツのドイツ語教

室へ通いました。それ以来ずっとK家族と我が家族は親交を継続してきました。そ

の昔、子守りされていた長男が成人してハイデルベルクで結婚挙式するというので

夫妻で列席してくれたのです。フラウKは牧師さんに「この新郎は私が育てたよう

なものだ.」とか説明されていました。

前日の午後、列席者全員が「Hotel Europaischehof/Heidelberg」に集合して前夜

祭を催しました。格調高いホテルでした。結婚式前夜と弁えていて、BG音楽やら

ディナーのメニュー、ワインの差し入れなどにも結構気配りをしてくれました。

日本でも時々教会での結婚式に招かれることがあります。長男たちの結婚式の式

次第は、全てドイツ語で進行することと列席者数が少ないことを除けば日本のもの

とほぼ同様でした。バイリンガルの様な女性の司会者が居てドイツ語の聞き取りや

会話にも問題はありませんでした。式は物足りないくらい短時間で終了しました。

この結婚式の数ヶ月前、婚約者たちと両家の両親が集まって来るべきドイツでの

挙式のこと等を打合せている席で私は「4月末頃のハイデルベルク城はリラの花盛

りですよ」とまた知ったかぶりをしたものです。果たせるかな、当日お城の周囲に

は第1話で述べましたリラの花がちょうど咲いていて、新郎新婦の記念写真は中庭

のリラの花の前で撮影されました。

式後、私は結ばれたばかりの若い2人に訓辞を垂れました。「もしも結婚生活が

壊れそうになったら此処に来て悠久の古城を眺めて修復するが良い.」と。

その時以来、長男夫婦がここを訪れた形跡はないけれど、私は既に2~3回お城

まで登って挙式当日の感慨にふけって来ています。

(第2話 おわり)

2002.4.25記