我が追憶のハイデルベルク、そしてドイツ

 

第5話  称号詐称

 

前回「ハイデルベルクの救急車」の中で昔日の称号詐称を告白しました。今回は

その経緯を述べてみましょう。今回も研究所長時代の所内LANのBBSへ掲示し

た「私の失敗」シリーズの一つです。所長の失敗談は所員にとって一服の清涼剤と

なるためか、この連載は割と好評でした。原文のまま再掲します

 

私の失敗(3) 称号詐称  Friday - Focus 5.3 号 〉

                           1991.5.3記

 

  毎度、古いお話になって恐縮ですが、昭和40年私がデュッセルドルフ駐在員に

なって赴任する時のことです。私は欧文名刺に下記の事情で Dr.MICHIO NISHIMURA

と書きまして、後で大変困りました。

 

  いきさつを話すと、私が駐在員の内示を受けて準備している時期にヨーロッパへ

出張された上司のKさんが、帰国の土産話で「ヨーロッパでは大学卒は皆んな Dr.

を称しているから、君もそうしないと大学卒ではないと思われて会社に損失を与え

るよ」とアドヴァイスされました。そんな話はそれまでに聞いたことが無いので半

信半疑でしたが、当時海外情報は極めて乏しく確認の方法は限定されていました。

  幸い私のクラスメートが2人三井物産に居た。その内の一人Mさんがミラノ支店

に長く駐在しデンカクロロプレンをピレリに売り込むのに成功した人でその時点に

は本店に帰任していましたので、Mさんにこのことも含め種々情報を提供して貰い

ました。大学卒=Dr. の件を確認しますと「イタリアではそうだよ」と言う。やっ

ぱりKさんの情報は正しいのだと Dr.の名刺を海外部に作って貰いました。

 

  赴任して挨拶廻りでこの名刺を沢山使った頃、当時三井物産デュッセルドルフ支

店にいたもう一人のクラスメートFさんが「君いつ学位取ったの?」と聞くではな

いか!「斯く斯くしかじか」と説明すると、「イタリアでは確かにそうしてるけど、

他の国ではこれは称号詐称に当たりますなぁ」と恐ろしいことを言われて当方は青

くなりました。善後策はFさんのアドヴァイスで Diplom Chemiker の名刺に切り

替えました。然しながら,肩書き社会のドイツでは一旦 売り込んだ Dr. を解消す

るのは容易なことではありませんでした。我が相棒のドイツ人セールスマンLさん

は得意になってユーザーに私をDr. と紹介し続けるのでした。その都度,私は我が

軽率さを悔やんで小さなハートを痛めたのでありました。

 

蛇足: chemist を使わないのは 英国で 薬局のことを chemist's と言うからだそ

うです。

                                (以上)

 

(2002.717 記、第5話おわり)

 

後書:1)文中のMさん、Fさんはアイソマーズの森山さん、藤牧さんです。

 

2)ドイツが肩書き社会であることは夙に有名であります。

1965年に私が駐在員として赴任し、家族を迎えるまでの6ヶ月間下

宿した家の女主人はFrau Dr.Reiprichと称していました。女性の博士で

あったのではなく、10数年前に亡くなったご主人が博士であったので

表札や呼鈴にもそのように表示していたのでした。

 

3)その当時、本稿の称号詐称の善後策を相談している時に、藤牧さんから

  次のような話を聞きました。

「第2次世界大戦後の西ドイツ経済を、社会市場経済政策によって奇跡

の繁栄に導き、後に首相になるエアハルト氏(Ludwig Erhart)はプロ

フェッサー・ドクター・プライムミニスター・エアハルトと呼ばれて

いる.つまり、プライムミニスターの称号よりもどこかの大学の名誉教

授やドクターの称号のほうが重いのである.」と。