2003.315

 西 村 三千男 記

東山魁夷著「馬車よ、ゆっくり走れ」について。

 

1.        ことの始まり

 

 2002年5月某日、

或る「アイソマーズ分科会」の席で藤牧さんと森川さんが

「東山魁夷の『馬車よ、ゆっくり走れ』はいいね.」と意気投合。

傍に居た武山さんと西村に「ドイツ紀行文だから一読をお勧めする.」とおっしゃる。

その時点で私はその書物の存在さえも知らないので話題に加わることが出来なかった。

そして森川さんが武山さんに、藤牧さんが西村に蔵書を貸して呉れることになった。

 

 2002年11月某日、

同じメンバー、同じ場所で、同じ話題が再燃した。武山さんは既に読んでいて

「画家の眼で捉えているから、書かれている内容が画を見るように読者に伝わる.」と

評論された。西村は藤牧さんからの本が未着でその時点でもまだ読んでいなかった。

後で分かったことだが藤牧さんの本は知人に貸し出されていて、その相手が重篤な病

気にかかってしまい返本の催促が出来ない事情にあったらしい。

 

2003年1月18日

恐縮にも、藤牧さんは私用に、知合いの古書店にもう一冊探すよう注文された。去る

1月18日に少人数で上京された関西アイソマーズの木下さんを囲む会を持ちましたが、

その時にそれを私に貸して下さった。

その内容が素晴らしかったので、アイソマーズの皆さんに受け売り紹介する。

 

2.        書誌事項

 

1971年、新潮社刊。

装幀も著者自身。

絶版となっている。

インターネットで古書検索すると、

amazon.co.jp では取り扱われていないけれど、「楽天」古書店街には有り。

 

3.        著者、東山魁夷について

 

著者の東山魁夷は1933年から2年間ベルリン大学留学。

1969年春から夏にかけて3ヶ月半、夫人を伴って西ドイツを北から南へ、

そしてオーストリアへと旅行しその紀行文を上梓したもの。

 

画家であるから絵画や絵画史に詳しいのは当然かもしれないが、

氏はそれ以外の建築、歴史、文学、音楽など芸術、文化全般にも造詣が深い。

この本の随所に氏の並々ならぬ教養が滲み出ている。

それでいてペダンチックにならないのは氏の人柄の反映か。

 

文中の記述から、ドイツ語は会話することも読むことも堪能そうである。

旅行中にオペラを楽しみ、田舎まわりで地方色豊かな「寄席」や「お祭りの余興」

を面白いと言えるのはドイツ語ヒアリング力がハイレベルである証拠。

 

4.        時代背景

 

 著者の留学は日本では5・15事件の直後、第2次世界大戦前夜。

この紀行文の旅行時期は日本の高度成長の終盤の頃、公害が社会問題化しつつあった。

世界的にはローマクラブの「成長の限界」が議論されていた頃。

森川さん、森田さんの留学、藤牧さんの一度目の駐在、木下さんの駐在とも同時期。

西村の駐在もほぼ同時期。

 

5.書名「馬車よ、ゆっくり走れ」の出どころ

 

 著者はこの本の中で繰り返し「馬車よ、ゆっくり走れ」と書いている。

 古き良き物を破壊し、環境を犠牲にしながら、便利さ、快適さを追求し、経済成長を

 続ける人類、殊に高度成長を謳歌する日本人への警鐘である。

 

書名に結びつく直接的な記述は、

p.55「ラウエンブルクの春」

ティル・オイレンシュピーゲル

『ある朝、馬車を走らせて田舎道を進んでくる人がある。よほど急ぐとみえて砂塵を

立てて走って来た。道端にいたティルの前で馬車が止り、

「次の町まで何時間かかるかね?」

と聞く。ティルは馬車の様子を見て答える。

「そうさね。ゆっくり行けば4,5時間だね。急いで行くと、1日がかりかね。」

「人を馬鹿にするな」

と、男は怒って馬に鞭を当て、前よりも早く馬を走らせた。2時間ほどで馬車の車が壊れ、

次の町へようやく辿り着いたのは真夜中だった。』

 

p.294「山の湖」

オーバー湖で見かけた飾り皿に

『安息は人びとにとって神聖なもの、ただ狂人のみが急ぐ。』

 

「馬車よ、ゆっくり走れ」

 

6.我が心に響く2〜3の記述

 

(1)ニュールンベルク

p.184

アルブレヒト・デューラーを偲ぶ

『爆撃による損害を、よくここまで精巧に復元出来たものだと思う。戦前に見た時と、

隅から隅まで寸分の違いもないように思われる。家の中に陳列されている作品は、模写

が多いが、この貴重な家を元通りに再現した技術には驚くべきものがある。ドイツでは

いまだに大工仕事には古い徒弟制度が残る職人気質があって、その技術的な優秀さが、

よく受け継がれていると聞く。多くの古い町が灰燼となった時、それを元通りに再現出

来たのは、そうした職人的技術の精髄の賜と思う。』

 

(2)フライブルク

p.178

フライブルク

『この著名な観光地に、このような太古の大森林が残っていることの不思議を思わずには

いられない。ホテルの庭が、なんの垣根をも設けず、自由に一般の人達を入れているこ

とも私達には意外であるが、そのことがすべてを物語っているのかもしれない。要する

に観光客が、これらの景観を荒らさないという精神が徹底しているからであろう。

私は残念ながら、これらの事柄が不思議に思える国から来たのである。』

 

(3)ローテンブルグ→ディンケルスビュール→ネルトリンゲン→ミュンヘン

p.201

―――これから、いよいよ、こんどのドイツ旅行の、私にとって中核ともいうべき、三つ

の古い町を次々に訪れることになる。しかし、それらは皇帝の都でも、司教の町でもなく、

中世のありふれた自由都市が、そのままの姿で残った小さな町である。そして、私の心を

最も強く引き付ける、ありふれた市民の町である。

 

p.204

ローテンブルグ

追憶の古都

霧が晴れた。

木々の生い繁る緑の丘の上に、城壁に囲まれた古い町の姿が現れる。

城門の櫓や、教会の尖塔をいくつも聳え立たせ、

傾斜の急な赤い瓦の破風屋根を並べた中世そのものの町が見える。

ローテンブルグ、私にとって故郷ともいうべき響きを持つこの名。

 

7.むすび

 

p.477

いまや、驚異的な科学の発達も、機械文明の過度の進展も、畏れを失った人々も、すべて

が、狂的で、魔的な力の暴走の中に在る。それが、「人類の偉大な進歩」であるとしても、

ブレーキが必要であることは、もう、誰の眼にも明らかである。そのブレーキとなるものは、

いま、多くの人間が失いつつある、素朴で謙虚で、自然との調和を考え、情緒と潤いを大切

にする、人間らしい生き方ではないだろうか。

 

ティル・オイレンシュピーゲルの声が聞こえる。

「馬車よ、ゆっくり走れ!」

夏は終わった。私の旅も、いま終わろうとしている。河風は涼しく、燈火をきらめかせ、

爽やかな音を立てて河は流れている。

                                 以上