ロシア旅行報告

 

 平成14年3-4月と5-6月,それからまた9月にロシアに行って来ました.報告書をアイソマーズのHPに載せる約束をしていたのですが,なかなか時間が取れません.ここで取りあえず簡単にメモを書いておきます.

 

3月29日―46日 ソウル大学の物理学教室に一日寄ってから,ソウル仁川空港を発って,ロシアシベリア航空直行便でノボシビルスクまで.帰りもこの便で.ここのロシア科学アカデミー触媒研究所のV. Kzunetsov教授に出迎えて貰って,研究所見学し,その日の夜行列車でクラスノヤルスクに.ここの工科大学で1970年代終わりに轟爆法ナノダイヤモンド合成法が発見されたので,その歴史を調べ,またこの地に多いナノダイヤモンド研究者に会って何故精製が出来ないのかなど積もる疑問を解くのが今回の主要目的.轟爆ナノダイヤモンドというのは,よく知られているデュポン社の黒鉛に衝撃波を当ててミクロダイヤを作る方法とは異なり,水中で酸素欠如型爆薬(例えばTNT)を爆発させるだけという簡単な方法.炭素は火薬起源で,生成した煤の約半分が平均直径4-5nmのナノダイヤ結晶.この方法を見つけた天才的な科学者が誰であったかを突き止めたかった.

詳しくは後で書くが,この旅行では結局解らずじまい.クラスノヤルスクで講演を3回,またノボシビルスクに帰ってからも3回で,疲れた.しかし,クラスノヤルスクで戦後抑留された日本兵士の墓に参り,美人の女子学生日本語通訳に会い,ノボシビルスクでは非常にモラルの高いロシア科学アカデミーシベリア支所に感心し,街の汚さに驚き,吹雪に遭ってまた驚いたことだけ書き留めておく.

 

526日―69日 家内同伴.北ロシアのセントピータースブルグでISTC(国際科学技術協会,ペレストロイカ以来苦境にある旧ソビエト時代の軍事関連研究者を救うために西側先進国が作った財政援助団体,本部モスクワ)のセミナーに3日間出席,親友のIoffe物理工学研究所Alexander Vulí教授に会ったりしてから,夜行列車でニズニ―ノブゴロードへ.ここは嘗てゴーリキという名前の町で,大きな兵器工場があったためについこの間まで外国人を入れなかったところ.ソビエト水爆の推進者でノーベル物理学賞を受けたSakarov(?)が幽閉されてここで亡くなった.ロシア有機金属,錯体化学関連学会が企画したボルガ川上の21世紀記念会議に参加.1週間でモスクワの近くまで遡上して同じコースを帰った.久しぶりの化学関連会議は既に私にとっては異質だったが,モスクワ大学化学科の先生方大勢と知己になった.

ボルガ沿岸の景色は素晴らしく,毎日停泊して観光という結構な旅行.偶然に30年以上付き合っているアメリカの科学者Peter Gund博士のユダヤ系の母親が,1918年ロシア革命後4歳でボルガ沿岸の大きな商業都市サマラを脱出してアメリカに向かう話を書いた本を贈って貰ったので,この船旅の最中に読んだのが印象に残る.白夜のボルガ川にかかる夕日を愛用のデジカメに収めた.

91日―9日 不思議なことに定年後でも科研費で,ロシア北端に近いカレリア地方に埋蔵されている炭素鉱石shungiteを調査に行くという幸運に恵まれた.今度は成田からフィンランド航空でヘルシンキに飛び,ここから名も知れぬロシアの飛行機会社の便で直接カレリア地方の首都ペトロザヴォ―スクに入る.一行は2人の地質学者を加えて6人.ここからロシア科学アカデミーカレリア支所の地質学研究所が所有する研究船で2日かけてヨーロッパ第二の大きさを持つオネガ湖を北上して北緯63度近くの寒村シュンガに向かう.絵に描いたような美しい北国の自然と荒廃した農村のなかに,夢にまで見た前カンブリア紀起源shungiteの露頭があった.Shungiteの中で最も炭素含量の高い(95%以上)Type I中に10ppmに達するC60が含まれている.Shugiteがどのようにして出来たかは今でも不明.不思議なことにcarbon-13の含量が地球平均値よりも30%も高い.ロシアの地質学者は,前カンブリア紀の原始生物はcarbon-13carbon-12よりも多く摂取したので,carbon-13が濃縮されたと説明していた.本当だろうか?

飛行機待ちの一日,爽やかな初秋のヘルシンキで遊ぶ.中華料理店で一週間ぶりに焼きそばを鱈腹食べて,全員満足.因みにヘルシンキには中華料理店20軒,日本料理店が8軒もあるから安心.

 

行けば行くほどロシアは不思議な国という感を深くする.日本は戦後長く大会社依存であったために駄目になったという話を最近よく聞くが,ロシアなどは更に無責任な社会主義政府に70年間に渉って駄目にされた結果,今でも国民はそのうち政府が何とかしてくれると思い込んでいるようである.この国は最終的には消滅するのではないだろうか?これらについてはまた後の機会に.

平成14910日千葉県茂原にて,大澤 映二