ソウル・W杯宴の後(1)

-街角で見た韓国経済-

武山高之

二十年ぶりに訪れたソウル

私の韓国との付き合いは多くはありません。

古くは約40年前にナイロンの技術輸出に参加し、技術資料を作ったことがあります。朴(パクチョンヒ)軍事政権下で、後年漢江(ハンガン)の奇跡と呼ばれた経済急成長が始まろうとしていた時です。「技術資料は、日本語で良いから、出来るだけ漢字と英語をそのまま入れて下さい」との希望がありました。まだ、韓国人の多くが漢字を読める時代でした。この時は訪韓の機会はありませんでした。

次は約20年前、医療用手袋の生産を依頼するため、ソウル郊外の工場を訪れました。漢江の奇跡が達成され、朴大統領暗殺後、代った全(ジュンドファン)大統領軍事政権下のことでした。工場は最新ではありませんでしたが、当時日本で盛んであった〈小集団活動〉による品質管理がきちんとなされており、十分に信頼できる品質でした。その少し前に起こった朴大統領暗殺の『東亜日報』の記事を見たことがありますが、大見出しは漢字が多く、我々にも十分理解できるものでした。

その後、民主化、漢字の排斥とハングル化の推進、オリンピック、経済破綻とIMF管理、日本文化の解禁、サッカーW杯と様々なことがありました。文字も変わって、今回の訪韓時に見たハングルの新聞には漢字は二つしかありませんでした。我々化学屋の世界では、IT先進国としての韓国、ナノテクの応用開発に熱心な三星(サムソン)の存在が目立ってきており、生産面だけでなく、応用研究の面にも韓国は気になる存在になって来ました。

ヨーロッパの都市を10年も経って再訪すると、昔と変わらぬ街の佇まいに懐かしさを感じます。それに対して、急成長をしているアジアの都市を、しばらくぶりに再訪すると、その変化に驚きます。昨年訪れたシンガポールでも、リ・カンユー前首相の指導力の成果に目を見張りました。ソウルの変化も見たいなと思っていたところ、日韓合弁会社の日本代表を勤めている友人から、「W杯が終わって、落着いたら来ませんか」と誘いがありました。W杯直後の7月2日から3泊4日の短い滞在でしたが、ソウルを垣間見てきました。まだ、国花ムクゲの花はちらほら咲きでした。

 

〈W杯は四強、経済もG8入り〉と意気込む

多くの日本人と同様に、私もW杯での韓国サポーターの熱気、韓国選手のスタミナと闘争心に、強い印象を受けました。そして今、韓国では〈今度は経済もG8入りだ〉と意気込んでいると報じられています。〈このパワーの源は何か〉を知ることも、今回訪韓の目的に加えました。

もう一つ気になるのは、W杯・韓国戦の審判判定問題です。何かすっきりしないものを感じましたが、私などには判らない世界のことで、『週刊新潮』や『週刊文春』などの週刊誌にまかせましょう。

 

先進工業国の首都

成田から2時間足らずで着いた仁川(インチョン)国際空港は、乗降客はあまり多くはありませんが、ゆったりとした立派な空港です。空港から都心までは、千葉から丸の内ぐらいの距離でしょうか。立派な片道3車線の高速道路で結ばれており、千葉から江戸川を渡るくらいまでの距離の区間は、交通量も少なくスムースに流れており、東京を遥かに凌駕した道路でした。世界有数の人口密度である韓国でも、黄海に面したこの地域は多島海で、未利用地も多く見られ、成田の5倍の面積をもつアジアのハブ空港が予定されていることがよく理解出来ます。都心に近づくと、12階建てのアパート群の威容が見られました。20年前にはまだ見られたスラムは消えていました。

友人宅に荷物を置いて、すぐ街の中心にある小高い南山(ナムサン)公園に立つソウル・タワーに登りました。そこからは、東西に流れる幅1~2キロの大河・漢江(ハンガン)の南北に広がる大ソウルが展望できました。それは数年前、経済破綻を経験しIMFの管理下に置かれ、日本からも多大の援助がなされたことを忘れさせるような、近代国家の首都・ソウルの威容でした。〈経済もG8入り〉という意気込みが感じられます。市庁舎前ではまだ、あの赤いサポーターたちが〈W杯の4強入り〉を祝っていました。

 

経済急成長の歪み

夕方のラッシュアワー時に、ご馳走を頂くため、都心を運転手付きの自動車で移動していると、猛烈な交通渋滞に巻き込まれました。車の割り込みが多く、車線は守られていません。とくに交差点で旋回する時には、隣りの車が擦りそうな距離に接近し、私の技術では、とても運転出来そうにありませんでした。この状態は日常化しているそうです。昼間見た近代都市ソウルとは、全く別の顔を見た思いでした。経済の急成長の歪みがこんな所に現れているようです。

韓国は非常に人口密度の高い国ですが、その半分近くがソウル、仁川、京畿道(キョンキド)を含む首都圏に集まっています。中でもソウルでは、東京23区ほどの面積に、1,200万の人口が住んでおり、その人口密度は東京より3割近く高くなっています。さらに、風水思想で選ばれた古い城郭都市ソウルは、北に山地を控えており、南に漢江があり、実際に人の住む空間はもっと狭くなっています。近年地下鉄が東京なみに発達してきましたが、国鉄環状線や郊外電車が発達していないことも加わり、交通渋滞の原因になっているようです。さらに、この10年間に韓国の自動車の生産量は3倍に急増し、かつ自動車通勤が一種のステイタス・シンボルになっていることもあって、渋滞に拍車をかけているようでした。因みに走っている自動車はほとんどが現代(ヒュンダイ)製です。

都心の駐車場確保にも問題がなり、ソウルの誇るアパート群の空き地は全て駐車場に覆い尽くされている観がありました。古いソウルの雰囲気を残す工芸品や骨董品が並ぶ仁寺洞(インサドン)の裏道も車で溢れて、折角の情緒を乱していました。

どの旅行案内書にも「韓国での自動車の運転は難しいので、レンタカーは止めた方がよい」と書いてあります。友人の会社では、日本人社員は自動車の運転が禁じられており、40歳代から運転手付きになっていると聞きました。冬季には路面凍結が起こるソウルでは、スリップ接触事故も多いようです。韓国全体のの自動車事故による死者は、人口が3倍の日本とほぼ同じ数です。

インドの都市が人で、北京が自転車で、台北がバイクで溢れているのに対して、自動車産業が発達してきたソウルは、自動車で溢れていました。バイクは少なく、自転車が通る道はないようです。朴政権下での開発では、郊外の高速道路は直線に作られ、中央分離帯を取り払えば、いつでも戦闘機の滑走路に使えるように北との臨戦態勢を意識して完備していました。しかし、都心の整備は遅れたのでしょう。この渋滞は、20年ほど前から開発され始めた漢江の南の漢南(カンナム)新都心でも見られました。

このような経済の急成長の歪みは交通だけでなく、災害や環境の面でも現れています。78年前に起こった漢江に架かる聖水(スンス)鉄橋の崩落、ソウル市内の三豊(サムプン)デパート崩壊など手抜き工事の問題が思い出されます。橋の崩落は大小合わせて8件もあったそうです。この他に、都市環境や建物火災対策などにも問題があるようです。

「ソウルの屋台料理を試みたが、残飯の多さに閉口した」とW杯でソウルを訪れて料理人が、地域新聞に書いているのを見たことがあります。韓国料理は残すほど出すのが礼儀ということで、残飯がたくさん出るようです。近代的な仁川国際空港を出た時感じた近くの工業から流れてきたと思われる硫化水素の臭いも気になりました。

また今回の訪問では、東大門(トンデモン)総合市場という繊維問屋が集まった問屋ビルを訪れる機会がありました。200mX150mのサッカー場くらいの広さの7階建てに10畳程度の小店舗が2000以上集まった巨大なビルです。あらゆる繊維製品を集めた市場は、同行の妻にとってはもちろん、繊維会社に席をおいていた私にとっても、大変興味があるものでした。日本からも多くの人が買い付けに訪れるそうです。通路は人がやっと行き違える程度で狭く、そこを昼食の出前の店員が、お盆を頭に載せて行き交う情景は、日本には見られない活気溢れるものでした。ただ、頭を過ぎったのは、消防法はどうなっているのだろうということでした。以前、ディスコ火災で多くの人が亡くなったことを思い出しました。矛盾しているようですが、このような急成長の歪みの部分に、韓国の活気を感じます。

経済が破綻し、IMFの管理下に入った時、多くの人が失業し、不動産を手放したと聞いています。一体みなどこに行ったかが気になっていました。帰国の機中、隣席でハングルの新聞を読んでいる人に、このことを聞いてみました。「それは、アパートの半分を人に貸し、それでローンを払い、間借り人はまたその半分を他人に貸し、家賃を払う。そのため、アパートの中は超過密になっていますよ」とのことでした。本当でしょうか。

これらの急成長の歪みは、東京の持っている問題と基本的には同じです。しかし、その程度はソウルの方が、比較にならないほど遥かに厳しいようです。ただ狭い国であり、中国のような地域格差、都市・農村格差、業種格差の問題が少ないのが救いです。

 

現代の自動車、三星のエレクトロニクス、そしてG8入りを目指す

漢江の奇跡の原動力になったのは、製鉄、造船、繊維、土建などの従来型工業生産技術でした。このうち、とくに歪みが現れているのは、土木技術です。

今後、発展の駆動力は自動車、エレクトロニクス、ITの分野でしょう。私の専門であるバイオ・ライフテクノロジーは、韓国に見るべきものはありません。前にも述べましたが、ソウル市内を走っている自動車は、ほとんどが現代製です。20年前にきた時は、現代の車はよく故障して、停まっているのを見掛けました。今はもちろん、そんなことはありません。外国車では、ベンツはぼつぼつあるようですが、日本車は見掛けません。国産車優先の政策が取られているためでしょうか。

韓国は経済躍進のため、低価格を売り物に、自動車の輸出に重点を置いているようです。しかし、日本では、東京の虎ノ門に現代の展示場があるくらいで、現代車が走っているのは見掛けたことはありません。北米大陸でも、低価格が話題になったことがあるが、進出にはまだ成功していないと聞いています。

友人宅の電気製品は、全部三星製でした。価格は日本製より安く、性能は同じです。携帯電話は、非常に小型化していました。私は携帯電話に詳しくありませんが、機能的にも優れたもののようでした。先日テレビで、NECが中国市場で、この三星の携帯との競争で苦戦していることが報道されていました。三星のエレクトロニクスは、確かに優れたものがあるようです。

このようにソウル街中では、日本製品は見掛けません。しかし不思議なことに、それでも日韓貿易収支は韓国の輸入超過になっています。調べてみると、すぐに分かったことですが、韓国の生産システムを支えている生産機械や機械部品といった我々の目に触れないところに、日本製品がたくさん使われているためです。

さて、韓国はG8入りのため、欧米や日本が100年、200年掛けて達成した経済発展を20年、30年で達成するのだと目標を立てています。大澤君の話では、三星のカーボンナノチューブ応用開発は、3交代勤務で進めているということです。

これを聞くと、日本がエコノミック・アニマルと呼ばれ、「追いつけ追い越せ」とがむしゃらに働いていた、若い日のことが懐かしく感じられます。同時に、〈基礎研究ただ乗り論〉で批判されたことも。私も、最初は欧米の模倣から入りました。大体追いついたと思われた頃、追い越すために〈日本発の独創的製品〉を開発しようと努力しました。何とか、そのような製品を幾つか開発できたのは、定年間近になってからでした。それでも、まだ追いついたとは言えないでしょう。韓国も自分自身の技術で作った製造工程で、独創的製品を手にするには、まだまだ時間がかかると思われます。

あまり性急に経済のG8入りを狙うと、歪みが一層拡大する心配があります。最近、森川君から借りて読んだ、東山隗夷さんのドイツ・オーストリア紀行『馬車よ、ゆっくり走れ』のことが思い出されます。

 

 

続きとして、次の二つを予定しています。

(2)街角の色彩感覚・食べ物・文字表示とW杯

(3)本で勉強した韓国事情