トルコ随想(1)

-悠久の歴史・遥かなるシルクロード-

武山高之

10月2日から1015日まで、女性主催・国際交流の会COSMOSの計画したトルコ旅行に参加しました。中年以上の女性15名と同じく中年以上の男性3名のグループです。グループ・メンバーの紹介は妻の文子が致します。グループの報告文集に出す文に少し手を加えました。一般の方には、読み難い所があるかと思いますが、ご容赦下さい。歴史・風景・人情の全てが満足できる良い旅でした。以下、文子1報、高之4報に分けて報告します。

 

一日遅れた出発

三笠宮寛仁親王殿下を団長とするトルコ遺跡巡りの旅(全国11都道府県から65名参加)と重なり、出発が一日遅れました。

 

この団体は、18年前から(財)中近東文化センター(総裁・三笠宮崇仁親王)が行っているカッパドキア近くのカマン・カレホユック遺跡の発掘調査を支援するものでした。この遺跡は、オスマン・トルコ、ヒッタイト、その前の青銅器時代の8千年の文化が埋まっているそうです。

 

我々もスケジュールを譲ることにより、期せずして、この文化活動に協力したわけです。寛仁親王殿下一行は、セルチュクのアンティークなカレハン・ホテルに我々の前日に宿泊されていました。

 

悠久の歴史、遥かなるシルクロード、そして世界遺産

ヒッタイト、ギリシャ、ヘレニズム、ローマ、ビザンティン、セルジューク・トルコ、オスマン・トルコ、ケマル・アタチュルクと5千年の歴史にロマンをもとめ、アーズ・カラハン隊商宿では、ローマから長安を経て、奈良の唐招提寺・薬師寺・正倉院に至る1万キロのシルクロードに夢を馳せました。

 

また今回の旅では、イスタンブール歴史地区ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩石群パムッカレとヒエラポリスと3つの世界遺産も廻りました。

 

穴居生活

カッパドキアで岩山のホテルアルフィナに泊り、石窟のレストランで民族舞踊を見て、現代の穴居生活を体験しました。

 

地下都市やウチヒサールでは、こんな洞窟に隠れられては、アルカイダの掃討作戦も難しいだろうと思いました。ギョレメ野外博物館やウフララ渓谷の岩窟のキリスト教会を訪問して、シルクロードの東、敦煌や雲岡の石窟寺院との共通性を考えました。

 

モンゴロイドとコーカソイドの混血

妻が6人のトルコ人の似顔絵を描いているのを見ていました。新生児の70%がモンドロイド(日本、中国、朝鮮、蒙古人など)の特徴である蒙古斑を持つトルコ人が、深眼・高鼻・栗毛のコーカソイド(ヨーロッパ、ペルシャ、アラブ、インド人など)の特徴を持つことを実感しました。

 

クルド人問題があるものの、トルコ人の大部分は中央アジアからの長い民族移動の歴史により、混血した一民族であることを確認した思いです。医学者の話では、蒙古斑は優性遺伝だろうということです。深眼・高鼻・栗毛も優性遺伝でしょうか。調べてみたいものです。

 

イスラム教徒・トルコ人から聞くキリストの聖書物語

今回の旅では、アヤ・ソフィア、カッパドキアの地下都市、ギョレメ野外博物館、ウフララ渓谷、聖母マリアの家など多くのキリスト教の遺跡を訪ねました。ギョレメ野外博物館ではイスラム教徒のトルコ人ガイドから聖書物語を聞きました。

 

ちょっと奇妙な感じがしますが、トルコはイスラエルの地で生まれたキリスト教がヨーロッパに伝わる、最初の通り道であったことを改めて感じました。

 

キリスト教徒とイスラム教徒の関係も複雑です。地下都市ではキリスト教徒はアラブ人からの迫害を恐れて逃げ込んでいます。カッパドキアのギョレメ博物館やウフララ渓谷では、両者は共存していたようですが、聖画像は破壊され、シンボルに変えられています。聖母マリアの家では、両者は平和に共存しています。エディ(ガイド)に尋ねてみましたが、納得できる回答はありませんでした。時代が違うのでしょうか。

 

旋舞

カッパドキアでメヴラーナの旋舞 とイスタンブールでベリーダンスの旋舞を見ました。いずれも反時計廻りでした。利き足の問題です。思い出すのは、ウイグル娘の舞いを謳った白楽天の『胡旋女』です。ここでは、〈左に旋り、右に転じて、疲れを知らず〉とあり、両廻りのようです。いずれにしろ、シルクロードの民は旋舞が好きらしい。

 

メヴラーナ旋舞の神秘性について調べてみました。NHKシルクロード取材班の報告によると、1213世紀のコンヤは国際都市(後にマルコポーロも訪れているようです)で、ゾロアスター教のペルシャ人、キリスト教のギリシャ人・アルメニア人、ユダヤ教のユダヤ人などもいて、それに在来のシャーマニズムの民もいたそうです。

 

そこに大火、地震、モンゴルの襲来があり、民心が不安定になり、正統派イスラム教では纏めきれなかったそうです。メヴラーナの開祖・ルーミーは13世紀のはじめアフガニスタンに生まれて、モンゴルに追われて、イラン(ペルシャ)・イラク・シリアを転々として、コンヤにたどり着いたそうです。

 

そのため、これらが影響しあって、旋回によって神に近づけるという判りやすい、神秘的集団が出来たのでしょう。元寇の時、唱えられた日蓮の『立正安国論』の数十年前のことでした。

 

山上にあるセルジューク・トルコの砦

セルジューク・トルコ。50年前に習った高校の世界史の先生を思い出す、懐かしい響きです。今回の旅では、バスの車窓から二つのセルジューク・トルコの砦をみました。一つはカッパドキアの近く。もう一つはエーゲ海に近い、その名もセルチュクのホテルカレハンの裏でした。いずれも水利は悪いが、見晴らしのいい山上に作られ、敵に備えられていました。

 

規模は違いますが、日本の戦国大名の城と同じです。世界を制覇したオスマン・トルコ帝国と違って、周りにまだ多数の敵がいたのでしょう。

 

イスラムの美は対称性と青とカリグラフィー

イスタンブールには、多数の文化遺跡・文化財があります。トプカプ宮殿の金銀財宝には、ただ驚くばかりでした。イスラム教国で偶像崇拝が禁止されていたためか、街にある彫刻はアタチュルクばかりで、絵画もスルタンの肖像画・細密画や戦争画に限られていました。 イスラムの美は、やはりブルー・モスクやスレイマニエ・モスクにあるモスク建築とタイルでしょう。

 

その第一の特徴は対称性です。不定形の美に慣れている我々日本人にはエキゾティックに受け取れました。アラビア文字のカリグラフィーは書道と共通性を感じます。青はトルコ青やペルシャ青で、イスラムの色です。

 

対称性の幾何学文様や植物文様は陶器や絨毯にも共通していました。円に内接・外接する幾何学文様はイスラムの教義に関係することを知りました。

対称性の破れとイスラムの実利性

オスマン・トルコ時代に建てられたブルー・モスク、スレマニエ・モスクは正確にメッカを向いています。

 

一方、東方正教会の大聖堂を改造して、モスクに利用したアヤ・ソフィアはメッカの方を向いていないという問題がありました。しかしイスラム教徒たちは、この歴史的建造物をなんとか利用しようと考えたのでしょう。そのため、聖画像を塗りつぶし、下部構造にメッカに向いた特別なドアーをつけ加えるという便宜的な方法を考えています。当時のイスラム教徒の実利的思考が感じられます。当然、建物の対称性は少し破れました。

 

ギョレメ野外博物館の石窟教会では、顔を削られ、代りにシンボルが書かれた聖画像がありました。渋沢さんの講義にあったアラブ人による聖画像破壊運動によると思われます。イスラム教徒はキリスト教徒の居住は認め、教会も認めましたが、偶像崇拝だけは否定したのでしょう。

 

聖画像全体を破壊するのは大変な手間なので、顔だけ破壊すれば魂が抜かれるのでよいという、手抜きとも思われる方法を考えたのではないでしょうか。ここでも、当時のイスラム教徒の実利重視が感じられます。バーミヤンの大仏を全身破壊したアルカイダとは全く違います。

 

いつの時代の、どこの話か定かではありませんが、彼らは征服した住民のイスラム教への改宗を強制しなかったそうです。その代りに、改宗した住民には税金を廉くするという便利な方法をも考えています。

 

イスタンブールの街角で見た第一次世界大戦の一駒

イスタンブールの古代競馬場跡に、ドイツのウィリアムⅡ世から贈られた記念物がありました。第一次世界大戦の時、トルコはドイツと同盟を組んで、ベルリン・ビザンティウム・バクダットの3Bラインを作っていました。旅をしていて、世界史の一駒に出会うのは楽しいものです。