トルコ随想(2)

-悩める国・トルコ-

武山高之

働く子供たちと教育問題

路傍で働く子供たちを多く見掛けました。エディ(ガイド)に学校に行っているのかを尋ねましたら、午前と午後の2部制なので休みの時間に働いているのだろうとのことでした。

 

しかし、そればかりではなさそうです。アナトリア高原の東の方では、冬は雪で、夏は労働力に使われ、学校に行けない子がいるようです。

 

一方、英語は小学校から教えているそうです。道理で、英語で話しかけてくる子供がいました。義務教育は8年です。アンタルヤで見掛けた高校生は礼儀正しく、ドルマバフチュ宮殿にいた小学生、カッパドキアのホテルの隣りにいた子供たちも人懐っこく可愛い子ばかりでした。

 

経済破綻

旅の途中で、老朽化した都市の建物、貧しい農村、がたがた振動する舗装道路に出会いました。トルコの経済は、この15年あまり年率50%以上のインフレが続いており、破綻状態にあります。インフレが厳しいと、給料や預金利子も高くなりますが、生活は楽ではなさそうです。それでも、のんびり過ごしているのが、トルコ人かもしれません。デフレで苦しんでいる日本と対照的です。

 

ボスフォラス・クルーズで見たイスタンブールの遠景は素晴らしかったですが、ガラタ塔から見下ろしたビルは老朽化が進んでいました。裏道は道幅も狭く、路上駐車で大型バスの通行は大変でした。

 

それでも、イスタンブールの郊外には新しい高層アパート団地が作られていましたが、若い人が家を手に入れるのは大変難しいようです。ただ、ホームレスはディプシーらしい母子を一組見掛けたでけで、他にはいませんでした。

 

生活水準の地域差も大きく、収入が都市の10分の1の所もあるそうです。ロバに載った老人、軽快馬車、羊飼いのいる牧歌的風景やギリシャ村の貧しい佇まいは、旅人の旅情を誘うものですが、住民は大変でしょう。だらしなく緩んだロープに干された、くすんだ洗濯物も貧しさを強調していました。

 

東トルコの貧しい地域からは、綿摘みの労働者がテント生活をしながら、出稼ぎに来ていました。近年大きな問題になっているドイツへの移民も、この貧しい地域からです。日本でも昭和初期までは、農村には非常に貧しい暮らしがありました。

 

男の世界

イスタンブールなどの大都市は別として、テャイ(トルコ・ティー)を飲みながらたむろしているのは男ばかりでした。

 

レストランでも、ほとんどが男のウエイターで、ウエイトレスがいたのはアンタルヤ(地中海岸)のホテルだけでした。イスタンブールのエジプト・バザールやグランド・バザールの売り子もほとんど男でした。〈廉いよ。見るだけ。目の保養〉と日本語で呼びかけるのも男ばかりでした。

 

おばさんがいたのは、地方の土産物売りとトイレ番。交流会のトップ・レディたちは例外的存在でしょう。日本より遥かに早く婦人参政権を得たアタチュルク革命も、未だ道なかばという感です。

 

クルド人問題

地中海岸の保養地・アンタルヤの公園で、新しい戦死者の慰霊塔を見つけました。1992年から1997年の間に戦死した20代の若者、約130人の名が書かれていました。ガイドのエディに聞くと、東トルコのクルド人独立運動を抑制するため、徴兵され派遣された若者たちだとのことでした。過去15年間に全トルコで戦死者は約3万人。エディもこの内紛に参加し、隣りにいた友人が戦死したことも聞きました。

 

彼はクルド独立運動に反対ですが、反戦的でもあります。反米的とも感じました。今度のトルコ総選挙では、アメリカが警戒するイスラム系政党・正義進歩党(AKP)が圧勝し、政権の交代が行われます。エディが私に政治的な話をしたがっていたのは、このような複雑な動きがあったからでしょう。

 

クルド人はイラク、イラン、トルコにまたがる国を持たない民族であることは知っていましたが、我々の友人の身近な問題でもありました。トルコ政府のクルト人に対する強圧的な態度が、EU加盟の大きな阻害要因にもなっています。クルド問題とイスラム過激派テロに備えて、トルコ各地は自動小銃を持った兵士に守られていました。

 

犬・猫・鶏の放し飼いの風景

イスタンブールの野外レストランでは、猫が足元に纏わりついてきました。観光地では、犬も全て放し飼いでした。田舎では鶏も放し飼いでした。日本の田舎でも、40年前には普通に見られた懐かしい風景です。

 

古代のハイテクと遅れる現代の技術

イスタンブールの巨大なドーム建築、地下宮殿、エフェソスやアスペントスの円形劇場など古代のハイテクや軍事博物館で見た強大な軍事大国、オスマン・トルコに驚きました。

 

ギリシャ時代の石造建築物は大きな石しか使えなかったが、セメント技術が発達したローマ時代には小さな石が使えるようになったそうです。

 

また、アヤ・ソフィアのようなローマのドーム建築は、ドーム部分を軽量のレンガで作ることにより、下部の石柱を細くでき、内部空間を広くするという古代人の知恵が集められていると言われています。

 

さらに、オスマン・トルコによるモスクへの改造の際、イスラム建築家の素晴らしい知恵が加えられていました。建築後、千年近く経って、ドームはごく僅かながら傾いてきていることが判りました。そのため、モスクへの改造の際、加えられた4本のミナレット(尖塔)のうち、一方の2本は軽量のレンガ造りの細いものにし、残りの2本は重厚な石造りの太いものにして、力のバランスを取っていました。

 

以前、フランス・リオンでも円形劇場を見たことがありますが、ローマ帝国は随分と広い範囲に円形劇場を作ったものだと実感しました。音響効果は奥野さんの『荒城の月』で証明されました。

 

また、強大な軍事力があってこそ、オスマン軍楽隊のメフテルもあり、軍楽隊を従えた進軍は東ヨーロッパを震え上がらせたでしょう。軍事博物館では、鬨の声も聴きました。

 

一方、現代のトルコは2本のボスフォラス大橋は外国技術に頼り、自動車も自国車の比率が高くなく、フランス、ドイツ、イタリア、アメリカ、日本、韓国と各国車の展示場の様相を呈しています。

 

ハイテク基地はイスタンブールの近くのイズミットにあるようですが、我々が見たのは、地中海地方の大理石の切り出し場、セメント、レンガ、繊維工場など従来型の工場ばかりでした。中東では重要な工業国とはいえ、ハイテクは未だという感がします。過去の3つの帝国の遺産を観光収入源として頼らざるを得ない現状が感じ取られます。

 

文字

7月に、韓国に行ってきました。街にはハングル文字ばかりで落着きません。トルコはアタチュルク革命でアルファベット化しており、有り難い限りでした。

 

あまり信心深くないイスタンブールの若年層

毎日コーランを聞きながら、ガイドのエディ(英語ガイド)とイケル(日本語ガイド)に尋ねました。〈コーランを聞いても判らない〉〈アラビヤ文字は読めない〉〈モスクには偶にしか行かない〉とのことでした。お経は判らず、梵字は読めず、お寺にも滅多に行かない不信心な仏教徒の私と同じです。