若い人たち

武山高之

 

新しい職場に出勤した朝、「よろしくお願いします」と若い女性が挨拶にきた。今日から秘書をしてくれる小林さんである。外語専門学校を出たばかりで元気がよい。一週間ほど経った、月曜日の朝のことだった。水盤に花が生けてあった。「花屋さんに頼んで、毎週持って来て貰うことにしました」と言って、お茶を入れてくれた。奇麗な花であるが、何かまとまりがない。

 

「奇麗だね。花は好きだよ。しかし、何かバラバラだね」と言った。花の名前は知らないと言うので、教えてあげた。翌朝、出社すると水盤の花が恰好よくなっていた。驚いて、「どうしたの、バランスが良くなったね」と言うと、「先輩に教えて貰いました」と素直である。それからは、花の名前を事前に調べて、恰好良く生けるようになった。若い人は覚えるのが早い。

一年ほど経ったある朝のこと、「お話をしたいことがあるので、聞いて下さい」と、浮かぬ顔をして言う。何かあるのかなと思って、「じゃあ、お昼に鰻屋さんに行こう」と誘った。別の先輩の女性に苛められて、悔しいと大粒の涙を流して、泣き出した。「小林さん、泣くのはいいけど、僕が若い人に悪いことをして、別れ話をしているみたいだね」と言うと、仲居さんに、「おばさん、誤解しないで。職場の話を聞いてもらっているの。済みません、ティッシュを下さい」と言って、涙を拭きながら、ティッシュの山を築いた後、「ああ、すっきりしました。美味しかった。有り難うございました」とケロっとしていた。

三年程経った頃、突然会社を辞めたいと言い出した。聞くと、オーストラリアにワーキング・ホリディで行きたいと言う。僕が定年になるまで待ってくれと頼んだ。しばらくして、僕の定年と同時に彼女も退社して、オーストラリアに行ってしまった。数年前、私の身近にいた、ごく平均的な若い人の話である。

 

退職後は、夫婦二人だけの生活が始まった。気が付くと、若い人と話す機会が極端に少なくなった。自由な時間が持てるようになった私たちは、年に2回は海外旅行に行くことにしている。この旅行が、意外と若い人たちと話す機会になる。ちょっとした切っ掛けで話し掛けると、現代の若者気質が分かって面白い。

 

今年の4月、ニュージーランド旅行に行った。最初の訪問地・クライストチャーチでは、とくに、お願いして個人家庭を訪問し、ホーム・ガーデンを見せて貰った。また、カンタベリー大学にも行き、私たち化学者にとっては、見落とせないラザフォード教授が若い日を送った研究室を見学した。

 

しかし、これから話したいのは、この偉大なる化学者のことではない。ごく平均的な若い人たちとの出会いの話である。ここニュージーランドは、オーストラリア、カナダと共に、語学留学やワーキング・ホリデイで日本の若い人たちに人気がある。

 

南島のフィヨルド・ツアーの基地であるクイーズタウンでのことである。予約しておいた中華レストランに入ると、日本人の娘さんが英語で注文を聞いて、はつらつと働いていた。まだ慣れてないところも見受けられたが、笑顔で一生懸命お客さんに応対しているのは、気持が良かった。北九州の出身だと言う。中国人の女主人に、「日本の娘さん、どうですか」と聞くと、「ミキちゃん、ベリー・ナイス」と評判もいい。ミキちゃんという名らしい。小林さんも、こんな風に働いているのだろうかと思った。

 

翌朝、湖岸を歩いていると、バック・パッカーの日本青年が一人で、ハンバーガーを食べていた。語学留学にきたが、明日からは中華レストランで働くと言う。しかし、一人ぼっちで寂しいとも言う。夕べのミキちゃんの話をすると、仲間がいることを知って、嬉しそうだった。「頑張れよ」と励ますと、「ありがとうございます」と明るくなった。

 

別のところに、日本青年がもう一人いた。北海道から語学留学で来ているという。体に少し障害があるようだが、不自由を押して一人で頑張っているようだ。きっと何かを得て、自信を付けて帰るだろう。「頑張れよ」とまた励ました。

 

ニュージーランドで働いている日本の若い人たちで非常に印象的だったのは、JTBのガイドさんたちであった。JTBニュージーランドのスタッフの70%が女性であり、ほとんどが元気な若い娘さんであるらしい。今回は旅行行程を自由に選んだため、十日間の旅で、十人くらいのガイドさんのお世話になった。みな非常に勉強しており、仕事をエンジョイしているという印象であった。説明に工夫を凝らし、飽きさせないようにしていた。女性が最大限に活躍できる職場のようでもあった。

 

旅行会社でもレストランでも日本の若い人たちが、ちょっぴり不安も感じながらも、外国生活を楽しみ真面目に働いているのは、好感が持てた。

 

外国人の若い人たちと話すのも楽しい。ホテルで、ニュージーランド名物の鹿肉とワインの夕食を楽しんでいた時のことである。ウエートレスは白人の娘さんだった。「クイーンズランドの出身ですか」と尋ねると、「オーストラリアのシドニーの近くから、ワーキング・ホリディで来ました」と言う。オーストラリアからも、ワーキング・ホリディで働きに来ていることを初めて知った。「シドニーには、あなたのような美人がたくさん居るの」と聞くと、「サンキュー・サー」と言って、急にサービスがよくなった。この娘さんも明るく、話していて楽しくなる。ディナーの美味しさが倍増する。

 

湖上の観光船では、中国系の若い男女と一緒になった。聞くと、台南から来たと言う。ピアノに合わせて、合唱して盛り上がっていた。メロディーは馴染みのものが多いが、歌詞は中国語であった。私たち二人が、日本人であることを知って、『スキヤキ』も歌ってくれた。ただし、中国語であった。私たちは日本語で唄った。

 

ちょっと、話は古くなるが、以前に訪れたシンガポールでのことである。ホテルのラウンジでトロピカル・ジュースを頼んだ。夜遅いので、客は疎らであった。ウエイトレスは二十歳くらいの中国系であった。聞くと、マレーシアのミッション・スクール出身であると言って、英語は達者であった。家内が孫のスケッチを見せると、「かわいい」と言って、私たちの横に座って話し出した。「お金を貯めて、東京ディズニーランドに行きたい」とも言って、半時間ほどお喋りを楽しんでいた。小林さんをマレーシア人にしたような娘さんだった。国際交流が盛んになった最近では、どこの国へ行っても、若い人たちは快活で、言動も似て来たように思われる。

 

ツアーで一緒になった日本の若い人たちと話すのも楽しい。北島のロトルアで、マオリ・ショーを見ながら食事をしていると、隣に若いカップルがいた。東大阪の町工場に勤めているようであった。お金はあまり持ってなさそうだった。私を見て、「会社のエライさんですか。いいですね。夫婦づれで、外国旅行をして。うちの両親は〈お伊勢さん〉に行って満足していますわ。こんな奇麗な所に連れてきてやりたいな」と言っていた。親を思う、優しい心が嬉しい。

 

次は新婚カップルだった。専門学校を出て、埼玉県にあるホンダの工場に勤めているエンジニアだという。ニュージーランドは日本の中古車が多く、ホンダ車もたくさん走っており、満足げであった。そこに、ホンダの四駆車がやって来た。エンジニアは、その特徴を私に話し出した。私は運転していたニュージーランドの青年に、「ホンダはどうだい。これは彼が作ったのだよ」と話かけると、「ホンダはベストだ。大好きだ」という返事が返ってきた。エンジニアは英語が得意でないようであったが、私が促すと、何かブレーキ・システムのことを話し出した。英語はブロークンであるが、ドライバーと意気投合している。新婦も新郎の英語が通じて、頼もしいと思っている様子であった。成田に着いた時、お母さんが迎えに来ており、「お世話になりました」と礼を言われた。私はちょっと会話の切っ掛けを作ってあげただけだが、嬉しかったらしい。

 

こういう経験は、ドイツのロマンチック街道の旅でもあった。八王子のスーパーに勤めているという新婚カップルがいた。「海外旅行は初めてです」と言っていた。最初の晩、外国慣れしていないので気後れしたのか、ホテルから外に出ようとしない。「市庁舎前でビールを飲みに行こうよ」と誘ってみたら、ついてきた。スーパーに勤めだけあって、私が注文しているのを見て、すぐに要領を飲みこんだ。次の日からは、自分たちだけでどこかへ行って、楽しかったことだけを報告してくれた。彼らは毎年、年賀状をくれる。

 

若い人たちは覚えが早い。すぐに私たちを追い越して、外国との付き合いが上手になるだろう。もともと、私が若者と話すのが好きになったのは、末の娘が大学生の頃である。その頃、私は東京に単身赴任しており、娘は京都の美術系大学に通っていた。ある時、6、7人の友だちと一緒に、東京へ遊びに来た。私は、皆に「横浜の中華街でご馳走してあげる」と誘った。美術大学だけあって、男も女も個性的な若者ばかりであったが、よく話し、楽しかった。その頃から機会があると、知らない若者とでも話すようになった。若者たちは、年寄りの長い説教話は苦手だが、年寄りに自分から話すのは決して嫌いではないようである。

以上は、今年の春に行ったニュージーランドで出会ったことを中心にした、若者たちの群像である。また、私たちの若者との交遊録でもある。ビジネスや学術の場での若者と、ひと味違った一面が見えて面白い。総じて、彼らは明るく屈託がない。国境を気にせず、外国へ行っている。こんな若者と話すことで、私たちもエネルギーを貰って、若さを保っているのだろう。世界はどんどん変わっている。